Théodre Chassériau Parfum Exotique |
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「感動的なことに、あの廃墟の中には野生の植物や自由気ままな野鳥たちとともに囚われの魂がいたのだ――思慮に富み、繊細な表現力に恵まれた一人の芸術家の魂が」(1900年、ギュスターヴ・ジェフロワ)。 |
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今回の展覧会は、19世紀フランス・ロマン主義の異才テオドール・シャセリオー (1819-1856) の芸術を日本で初めて本格的に紹介するものです。 11歳でアングルに入門を許され、16歳でサロンにデビュー、やがて師の古典主義を離れ、ロマン主義の最後を飾るにふさわしい抒情と情熱を湛えた作品の数々を残して、1856年に 37歳で急逝したシャセリオーはまさに時代を駆け抜けた才能でした。 オリエンタリスムの画家にも数えられますが、カリブ海のイスパニューラ島に生まれ、父親不在の寂しさや師との芸術的葛藤を抱えつつ、独自の道を探った彼自身が異邦的なるものを持ち,いずれの作品にも漂う甘く寂しい 「エキゾチスム」 の香りが観る者の心に響きます。 |
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会期: 2017 2/28 [火]〜 5/28 [日] 展覧会は終了しました。 |
'2017 2_27 「シャセリオー展」プレス内覧会・開会式の会場内の風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
「シャセリオー展」開会式 '2017 2_27 |
19世紀フランス・ロマン主義の異才 〜 シャセリオー 〜 象徴主義モローのオマージュ |
「シャセリオー展」 展覧会の概要 ― 「シャセリオー展」 図録、PRESS RELEASE、他よりの抜粋文章です ― |
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今回の展示作品はルーヴル美術館の所蔵品を中心とするものです。 それらの多くは、シャセリオーの従兄の息子で、作品を散逸から守り、会計検査院の壁画の救出運動の中心ともなったアルチュール・シャセリオー男爵
(1850-1934) が1934年に遺贈したコレクションに由来しています。 |
'2017 2.28 「シャセリオー展」プレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
1 アングルのアトリエからイタリア旅行まで |
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・2 テオドール・シャセリオー 《16世紀スペイン女性の肖像の模写》 1834-50年頃 油彩/カンヴァス 74 x 58cm パリ・個人コレクション |
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・2 本作品は、長く、ルーヴル宮のスペイン・ギャラリーにあった 「エル・グレコ」 作品の模写という位置づけを与えられてきた。 他の画家たちと同様、修行期のシャセリオーはルーヴル宮で模写に励み、早くからスペイン絵画には大いに魅了されていた。
スペインの肖像画における簡潔にして力強いレアリスムの影響はとくに彼の初期の肖像画の数々に見ることができる。 ・11 本作は 1840年のサロンで落選、憤慨したゴーティエらがサロンの審査に批判記事を掲載した。
この頃、ラファエロを絶対的に崇める師の排他的な美学から距離を置き始め 「師は過去に生き、自分は未来に生きる」 とアングル藝術から決別をはかる。
・12 古代もしくは新古典主義の伝統を思わせるが、背景の木々が、折れ曲がる枝を広げながら、画面を静かにかき乱している。 人物の情動とこれを取り巻く木々や自然とのこうした照応関係は、1840年代のシャセリオー作品に展開されていくものである。 |
3 画家を取り巻く人々 |
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・57 テオドール・シャセリオー 《カバリュス嬢の肖像》 1848年 油彩/カンヴァス 135 x 97.7mm カンペール美術館 |
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・57 医師の娘マリ=テレーズ・カバリュウスは、フランス革命史に名を残し、パリの社交界に君臨した 「テレーズ・カバリュス(タリアン夫人)」 を祖母に持ち、ユゴーやデュマ、ミュッセ、バルザックら文豪が出入りする文芸の香り高い環境で育った。 当時のパリで最も美しい女性に数えられました。 本作品は二月革命勃発直後のサロンに出品されたが、画面には、騒乱のパリから隔絶されたノスタルジックで静謐な時間が流れている。 ・60/61 肖像画は親しい相手、社交上、あるいは経済的な理由などと画家の描いた動機は複数ある。 画家シャセリオーの友人、オスカール・ド・ランシクール伯爵と、彼の妻ランシクール伯爵夫人の 2点の全身像は、友愛、暗黙の了解、上流階級的あるいは社会的義務を逸脱して、芸術的な現実を端的に現している。 1854年、伯爵夫妻の依頼で狩猟を舞台に描かれた 、狩りへの出発という、 2点の作品は 17-18世紀の肖像画ジャンルで親しまれたテーマである。 |
5 建築装飾―寓意と宗教主題 |
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・94 ・96 ・95 |
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・90 《諸民族を結びつける商業》(シャセリオーにもとづくタピスリー) 1932年 毛織物 399 x 355cm パリ、モビリエ・ナシオナル |
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・90 本タペストリーは、シャセリオーの没後半世紀以上を経った 20世紀に入り、国立ゴブラン製作所で制作されたものである。 《諸民族を結びつける商業》 と題された本作は、かつて会計検査院の大階段を飾っていた壁画のうち、東洋諸国とヨーロッパの商業的交流をテーマとした一場面、《西洋の港に到着する東洋の商人たち》 にもとづいている。 ・94 本作は、シャヴァンヌの最初の重要な壁画で、特にシャセリオーの影響が色濃いピカルディ美術館 (当時、ナポレオン美術館)の中の 《休息》 のための油彩習作の一つである。 |
テオドール・シャセリオー |
《自画像》 |
・1 テオドール・シャセリオー (エル・リモン、1819年-パリ、1856年) 《自画像》 1835年 |
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関連年譜 「シャセリオー年譜」 ―「シャセリオー展」、Press Release、図録より抜粋文章― |
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・1819 0才 9月20日、イスパニョーラ島のエル・リモンでテオドール・シャセリオー誕生。 翌年末、家族で本国へ帰国の途につく。 |
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1819年9月、テオドール・シャセリオーは、カリブ海のイスパニョーラ島のエル・リモン(現ドミニカ共和国) でフランス人の父とクレオールの地主の娘である母のもとに生まれる。 フランスに帰国後、11才で名高い画家アングルの弟子となり、16才でサロンに初出品。 以後、アングルの優美な線描の芸術を受け継ぎつつも、ロマン主義藝術への傾倒から、独自の道を探求、神話や歴史をもとにした絵なども描きました。 シャセリオーの容貌は、当時の数々の証言によれば、決して顔立ちの整った美男子というタイプではなかったがエレガントで女性を引き付ける魅力を持つ人物であったとされる。 1856年10月、37才で死去。 |
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参考資料:「シャセリオー展」図録、PRESS RELEASE & 報道資料 、他。 |
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